政府自民党は“解釈(判断基準)”で脱法する。自民党の“裏金問題”と労働者の“判断基準”には共通点がある。それは法律の解釈によって脱法を正当化することだ。労基法では、自民党が判断基準(解釈の仕方)を持ち込んだ結果、「名ばかり個人事業主」が横行してしまった。
1985年、自民党中曽根内閣が労働者の「判断基準」を決めた
日本では「労働者」とは、労働基準法上の労働者を指します。すなわち、雇用契約を締結して働く人々のことです。労働者の職業を問わず、広く保護する法律となっています。労働基準法第9条には、普遍的なつぎの定義が掲げられています。
《労働基準法第9条》
この法律で「労働者」とは、職業の種類を問わず、事業又は事務所(以下「事業」という。)に使用される者で、賃金を支払われる者をいう
しかし、1985年、中曽根内閣の労働大臣(現:厚生労働大臣)の私的諮問機関(労働基準法研究会)によって、「昭和60年報告(通称)」という判断基準が導入された結果、現在まで大きな問題となっています。
2022年年2月28日参議院予算委員会、日本共産党吉良よし子議員は「スーパーホテルの業務委託契約」について質問しました。
《吉良よし子議員》スーパーホテルの支配人で働いている方、これ労働者じゃなくて業務委託契約、まあ個人事業主として契約されているわけですけど、実際には、研修するときに自宅を引き払うことを強要されて、住み込みの二十四時間勤務なんだと。二十四時間拘束で就労していて、しかもその業務を細かく決めた膨大なマニュアルがあって、そのとおりに働くことが求められていると。支配人されていた方は、まるで奴隷労働だったと、そういう声もあったわけですけど。
これ、裁量ある自由な働き方とは言えないと思いますけど、いかがですか、厚労大臣。
後藤厚労大臣は、つぎのように答弁しています。
《後藤茂之国務大臣》労働の実態に即した判断をしてまいりたいと思っております。
この答弁の「判断」とは「昭和60年報告」の基準で判断することを意味しています。
じつは「昭和60年報告」は破綻した判断基準だった。それは労働者の労働実態でさえも判断基準では説明できない!
「昭和60年報告」は、行政機関の労働基準監督署や裁判所によって、つぎの6つを契約形式ではなく「労働の実態」から判断することになっています。
- (1)業務指示などが拒否できない
- (2)業務遂行上の指揮監督がある
- (3)場所的・時間的拘束がある
- (4)代行できず誰も雇用してない
- (5)報酬が社員と大差なく欠勤控除がある
- (6)補完的要素(機械器具の負担割合、独自商号、専属性など)
この6項目を「総合的に判断する」とされています。しかし、雇用された労働者の労働実態をこの判断基準で説明ができないのです。「雇用労働者」はさまざまな労働実態があり、一概に(1)~(6)項目に当てはまるはずがありません。雇用された労働者の労働実態をこの6項目で説明ができない以上、労働実態だけを見て労基法上の労働者だと推認できるはずがないのです。さらに悪用されたり偽装された場合、ただ労働実態を見て判断するので当然不正が見抜けません。しかも厚労省の内部規則に過ぎず、法律・政令・省令などでもないのに最高裁が支持するために、今日まで36年間も「労働者の判断基準」として君臨し続けてしまっているのです。
こうしたことでスーパーホテル名ばかり個人事業主(偽装業務委託)事件は、「昭和60年報告」の扱い方が問われるべき重要な裁判なのです。
使用者責任の「免除手続」に昭和60年報告は変貌している
昭和60年報告が労働実態を「6項目」に特定したことで、使用者は「労働実態の捏造」が可能となりました。それは補完的要素を除く5項目のうち、1つでも多く適合しないよう「偽装した働かせ方」を労働者にさせれば良いからです。結果、労基署は「労働者保護」する機関でなく、昭和60年報告で「労働者を識別」する機関と振舞うようになっています。
その象徴的実例は、前記の吉良よし子議員が「スーパーホテルなどの業務委託契約だと労基署が追い返す実態」があると指摘しています。これに対して、後藤厚労大臣は「的外れな答弁」をし、岸田総理も官僚の作文を棒読みした答弁を行っています。
《岸田文雄内閣総理大臣》 具体的な事例については承知をしておりませんが、厚生労働省として、今大臣が説明した基本的な考え方においてしっかりと対応してもらわなければならないと思っております。
そもそも政府自民党は、労基法脱法で企業に甘い汁を吸わせた見返りを得るためなのですから、政府閣僚がまともな答弁をするはずがありませんでした。
昭和60年報告の導入は「事業者と偽装された雇用労働」の不正を合法化するばかりか、労基署が「破綻した基準」を振りかざして、労基法違反者を擁護する状態のまま36年以上も経過しているのです。