名ばかり個人事業主は「死者」が出るほど怖い――そんな体験を突きつけられたことがある。
個人とは「搾取的弊害に陥り易い」存在
ある日のことメンバーたちは、議員会館内の院内集会に参加した。フリーランスの厳しい現実について、その当事者たちの「声」を国会に届けるためであった。
国会議員たちが居並ぶ檀上に立ったのは、俳優とメンバーたち、それにアイドルとタレントの“母親”だった。なぜ母親が一緒に登壇したのかと言えば、本人が「すでに、この世にいない」からである。
その時の体験をメンバーのひとりは「母親は娘が死ぬと、これほど苦しむのか。もし私も死んでいたら――声をあげたくとも彼女たちは、もう声さえ上げられない」と、うつむいて語ることがある。
個人とは、末弘博士が言う「搾取的弊害に陥り易い」存在なのである。
同じ制服を着ているのに仕事も同じ内容なのに、労基法上の「労働者」と「事業者」が存在する。そんな事業者が過労死したら、何も残らない。仕事のトラブルも自己責任だ。
交通事故のように誰もが「名ばかり個人事業主」に突然なる時代がやってきた。
メンバーたちは、私財を投じて働きながら東奔西走する殺人的ストレスの中、文字通り“汗と涙”を流して有識者たちから直に授かった叡智で、新たな名ばかり事業主の類型を掴んだ。
自民党が啓蒙した昭和60年報告の悪用方法
それは一見すると雇用か業務委託か“判別できない”働き方であった。
使用者がそれを業務委託契約だとし、募集広告を出したのがはじまりだった。名ばかり個人事業主たちは、自らの意思で応募して“事業者を自認させられる”ことになった。
そして、彼らは労働者(労働者性のある)のような働き方に何ら疑問を持つことなく契約期間の満了後に去って行った。
事業者を自認させる新たな名ばかり個人事業主を『募集型』と呼びたいと思う。募集型の典型こそが、スーパーホテル事件のベンチャー支配人制度であった。
この制度について、メンバーたちは提訴し告発し記者会見などで公益に資するよう周知に努めてきた。
その募集型について紐解いて行こうと思う。
時代はバブルが崩壊した1990年以降のことである。解雇に厳格な規制はあったが、リストラ(整理解雇)のように「窓際族」と呼ばれた閑職に追いやること。また、社内いじめとも取られかねない成果主義などが横行していた。
こうした労働市場の閉塞感の中、第3次ベンチャーブームが起きる。自由で活気のあるベンチャー企業への就職や起業家をめざす人口が形成された。
特に1995年(平成7年)は「インターネット元年」とも呼ばれ、パソコン・オタク(マニア)だけでなくWindows95の発売がきっかけとなり、多くの人々がパソコンを求めるようになる。
結果、ICT関連市場に支えられたベンチャー企業が急増した。
さらに「阪神・淡路大震災」が発生し、地下鉄サリン事件が続く震撼の年でもあった。日本経済はバブル崩壊の影響により住専の「不良債権処理」が国会で紛糾し、労働市場は就職氷河期が相変わらずのままであった。
1997年(平成9年)ごろ、日本長期信用銀行、北海道拓殖銀行や山一証券など巨大金融が相次いで経営破綻する。激動する日本社会に多くの人々は「起業」を大きなリスクと捉えることなく、逆にチャンスと考える風潮が生まれた。
こうした社会世相を反映し「独立」や「開業」を謳う求人広告に応募する“起業スタイル”が形成される。これに紛れて台頭したのが「募集型」の名ばかり個人事業主であった。
募集型を推進した使用者たちは、労基法の手厚く高い人件費や組合闘争から解放されるため、こぞって個人事業主に仕立てる「独立」や「開業」を募集するようになった。
リクルート転職情報誌『B-ing』の関西版には、おそらく初となる「スーパーホテルの求人」がつぎのように掲載された。

同年2月、リクルートは独立や起業の情報誌、月間『アントレ』を創刊する。リクルートが予測した使用者の新たな労働力確保のシフトは、小さな経済規模で終わらないことをアントレ創刊が如実に表していた。
それから時が流れて、スーパーホテル事件の裁判がはじまる。
スーパーホテル側は「契約」に定めた要項やマニュアルの義務が使用者の指揮命令権の「行使ではない」と主張していた。これこそ自民党が労基署に指示して普及させたものであった。
『甲240号証 鑑定意見書』において、橋本教授はこうした「契約」に基づく業務遂行が使用者の指揮命令権の行使とならない問題について、つぎのように指摘している。
(前略) 契約で詳細に業務内容や業務遂行方法について予め定めてしまえば、これによって生じる義務は合意によるものであって、使用者の指揮命令権の行使を示す事情とはならない (中略) 予め契約やマニュアルで業務内容が詳細に規定された場合には、労働者性が認められなくなってしまう。
橋本陽子著. 甲240号証 鑑定意見書, 2022年7月19日, p.12
契約上の「義務」や「目的」、「業務の性質」を理由に労働者性を否定すれば“労働法の存在意義”を根底から無視することになると、橋本教授は東京地方裁判所の裁判官たちに警鐘を鳴らした。

ILO条約の判断基準が示す名ばかり個人事業主の実態
メンバーたちは、名ばかり個人事業主の問題を考えもがくうちにILO(International Labour Organizationの略称、国際労働機関のこと)のホームページに行き着いた。
そこに『現代奴隷制の世界推計:強制労働と強制結婚 ジュネーブ、2017年』(ウェブPDF版、日本語版2017年)というレポートが掲載されていた。
「奴隷制」と「強制労働」は1947年(昭和22年)に憲法と労基法が施行され、日本から根絶されていた。施行より80年あまりが経過しており、日本国民の脳裏から奴隷制や強制労働の言葉すら忘れ去られている。
だが、このレポートを読んでメンバーたちに衝撃が走った――まさに名ばかり個人事業主と酷似していたからだ。
その「現代奴隷制」について同レポートから引用しよう。
現代奴隷制には強制労働、債務奴隷、強制結婚やその他の奴隷制及び奴隷制に類する慣行のほか、人身取引も含む一連の具体的な法的概念が包含されている。現代奴隷制に法的な定義はなく、これら法的概念の間にある共通性に関心を集中させる包括的用語として使用されている。この用語は実質的に、脅威、暴力、強要、欺瞞や権力乱用により、ある人間が拒絶することも、離れることもできない搾取状態を指している。
『現代奴隷制の世界推計:強制労働と強制結婚 ジュネーブ、2017年』(ウェブPDF版、日本語版2017年), p.11
現代奴隷制には「法的定義はない」と言う。一連の具体的な“法的概念”が包含され、さまざまな搾取状態を示す総称した言葉であった。現代奴隷の被害者の体験談からもそれが窺えた。
現代奴隷制について同レポートを見よう。
ILOは、複雑な法的概念を測定できるように「強制労働」と「強制結婚」の2つの主要形態に焦点を絞っている。ここでは、強制労働について同レポートを追いかけて行く。
強制労働とは、同レポートから引用すれば1930年(昭和5年)のILO強制労働条約(第29号)第2条につぎのように定義されている。なお、日本は1932年に同条約に批准している。
ある者が処罰の脅威の下に強要され、かつ、右の者が自らの任意に申し出たものではない一切の労務
『現代奴隷制の世界推計:強制労働と強制結婚 ジュネーブ、2017年』(ウェブPDF版、日本語版2017年), p.11
この定義から強制労働に相当するかどうかは「ある者」と「使用者又は第三者」との関係性で判定されると言う。ゆえに作業条件が耐え難かったり有害だったりしても、活動の種類や国内法で合法か違法かも関係ないと説明する。
ILOが判定で重視するのは、第29号条約で定めた「非任意性(ある者が任意で申し出たものではなく)」と「処罰の脅威(使用者又は第三者の強要で遂行する)」の2つの判断基準によると述べている。
では、名ばかり個人事業主は、この判断基準に当てはまるのだろうか。
名ばかり個人事業主には2つの類型があるが、事業者だと自認させる「錯覚や誤解させた状態(非任意性)」に置き、業務委託(請負)契約を結ばせるものであった。そして、契約義務が伴った損害賠償や解約などの「強要(処罰の脅威)」にさらされて働くのである。
つまり、名ばかり個人事業主は、強制労働の「2つの判断基準」に適合する。
日本政府は、ILO強制労働条約(第29号)の強制労働(名ばかり個人事業主)をつくる「昭和60年報告」の運用方法を見直すべきである。日本はILO加盟国であり条約の批准・未批准にかかわらず、国内法の整備や推進などの義務がある。
さらに憲法にもILO条約を国内法と同じく尊重するよう定めている。
② 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
日本国憲法第10章最高法規第98条第2項