憲法第76条第3項には、「裁判官」をつぎのように規定している。
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
日本国憲法第6章司法第76条第3項
本当にそうだろうか?当該裁判の「判決のゆくえ」だけでも、そうでないことがわかる。3人の合議制による意思決定は、裁判長に左右されると言っても過言ではない。
特に裁判長は、教育指導者でもある。右陪席より知識が豊富であり、自己の意見を教示することが左陪席の指導となってしまう。当然の帰結として、「裁判長の意見が“多数派”」となりやすくなる。
つまり、合議制の地裁判決は、「裁判長の意向」を反映しやすくする制度と言えよう。
こうした制度の地裁では、裁判官の良心に従った「独立した職権行使」ができるとは思えない。
そもそも裁判官は、キャリアスタートから「出世と保身」を体現した存在のようである。彼らのキャリアは、地裁か家庭裁判所(以下、家裁と略す)からはじまる。
裁判所法第43条によれば、司法修習を終えた者の中から「判事補」に任命される。そして、裁判所法第27条第1項と第2項によって、左陪席の判事補は一人で裁判できず、合議体の裁判に加わり、裁判長になれない。
教師役の裁判長に対する優等生となるべく、左陪席は裁判長の意を汲んだ「迅速に卒なく」事件をこなそうとする。10年間、この反復を続ければ、判事への“昇格資格”が得られるのだ。
当該裁判の裁判長2人のつぎの経歴でもわかる。
当たり前のことだが、両裁判長も「地裁判事補」として、合議制でキャリアを積んだ。伊藤由紀子氏は「H6.4.13」に任命され、角谷昌毅氏は「H10.4.12」であった。両者とも、きっちり10年目の“同月同日”に「判事」に昇格している。
裁判官人生をルールとおりに昇進するには、何が必要か?
それは裁判官でなくとも、社会経験があれば想像がつくはずだ。卒なく迅速に仕事を処理すること。さらに「長い物には巻かれろ」という姿勢で働くことだ。
すなわち、法服を着た司法官僚こそ、裁判官の核心を指した言葉ではなかろうか。
人々には、裁判官が「悪を裁く法の番人」という期待があるはずだ。少なからず日本人の胸中には、裁判所の存在が立派な国に住んでいると想起させると思う。
しかし、司法について学べば、学ぶほど“意外な”実態を知り、さらに愕然としてしまうのだ。「業務委託契約、個人事業主の働き方を考える勉強会」に参加したときのことである。講演した橋本教授は、ジャーナリストの質問に答えて、ドイツでの研究生活中のエピソードを、つぎのように語った。
労働法を勉強しない人(裁判官)もいると思います。ドイツには“労働裁判所”があって労働法しかやらない。東京地裁の裁判官がドイツに研修に来て、はじめて労働法を勉強することにドイツの裁判官が驚いていて。私は、「どうやって専門性を獲得するのか?」と、ドイツの裁判官から何度か質問されたことがあるんです。
日本の司法では、大学や大学院、さらに司法試験及び予備試験においても、「労働法」は一度も学ぶことなく、裁判官になれるのだ。異動辞令を受ければ、労働法の“素人”が「労働裁判」を裁くのである。
誰が聞いても戦慄する事実ではなかろうか!
なぜ、専門性が獲得できないキャリアパス制度が司法に存在するのだろうか。素人には難し過ぎる話である。しかし、素人でも裁判官について理解を深めることはできる。
たとえば、YouTubeには「関西テレビ報道情報局」の公式チャンネルがあり、そこに裁判官のドキュメンタリーがあった。『ザ・ドキュメント』という番組で放送したものであるようだ。その中で“優秀な”裁判官の評価基準を紹介している。
それは、「不動の判決」を書く裁判官のことである。
地裁の判決ならば、最高裁まで判決が変わらないものを書く裁判官のことだそうだ。
では、当該裁判の「角谷昌毅(カクタニ・マサタケ)」裁判長は、「不動の判決」を書く裁判官なのだろうか。少し過去の判決報道を調べてみた。
結論から言うと、原告に「完全敗訴」を覚悟させる人物だった。
名古屋地裁の在籍時、2020年(令和2年)6月5日のHUFFPOST『「裁判所は、人権の砦ではなかったのか」同性パートナーへの犯罪被害者給付金を認めない判決、弁護士らが強く反論』は、最高裁まで争われた。角谷裁判長の判決は、原告の「敗訴」であったが、最高裁は原告の「逆転勝訴」としている。
2020年6月26日のBuzzFeed.News『生活保護費引き下げを容認する判決は法治国家の放棄? 木村草太教授「法律の文言も趣旨も無視している」』において、東京都立大学木村教授は角谷裁判長の人物評を端的に表現した。
そして、2020年6月29日のダイヤモンドオンライン『生活保護費減額に「最低」と言われる判決を下した名古屋地裁の論理』では、つぎのように掲載された。
6月25日、最初の地裁判決が名古屋地裁で言い渡された。緊張感が漂う法廷に入ってきた角谷昌毅裁判長は、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」という判決を述べると、足早に法廷から去った。傍聴席からは「不当判決だ」という叫び声が上がった。原告の完全な敗訴である。
2020年6月29日 ダイヤモンドオンライン 『生活保護費減額に「最低」と言われる判決を下した名古屋地裁の論理』
生々しい判決の言い渡し状況が描写され、原告敗訴の落胆を伝えた。角谷裁判長が「足早に法廷を去った」という表現で人物評が加えられている。やはり、この判決においても、2023年(令和5年)11月30日の朝日新聞『国による生活保護引き下げは違法 初の国賠も認める 名古屋高裁』のように原告の「逆転勝訴」で終わっている。
しかも、角谷裁判長が下した名古屋地裁の「間違った判決」は、名古屋高裁のみならず最高裁がダメ押しで原告勝訴を確定させた。
角谷裁判長は、どうも不動の判決を書ける人物ではないようだ。
それもそうである。裁判官たちは、事件の理解を深めて「社会正義や公益」に思いを巡らせるより、卒なく迅速に「上司の意を汲み取る」判決を書けば、よいからである。
おそらく角谷裁判長は、如何なる事件であろうとも“躊躇なく”事務的に「間違った判決文」を書くことができるはずである。