東京地裁民事33部の角谷昌毅裁判長による判決は、2025年(令和7年)5月29日の予定が7月10日に引き延ばされていた。
当日、原告・被告の双方は予定時刻に法廷の所定の場所に座った。少し遅れて、角谷裁判長と他2人の裁判官が法廷に入り着席した。
そこに裁判所の関係者らしき人物が大きな声で「報道のカメラが入ります」と言った。全員が着席した状態で30秒程度の撮影を終えると、報道カメラは退出して行った。
懇意のジャーナリストによれば、判決冒頭の撮影が入るのはどこかのテレビ局が要請したからだと言う。メディアが注目している証拠らしい。
それからすぐ角谷裁判長が判決を申し渡すと言った。
異様な静けさの中、彼は顔をこわばらせ、声をふりしぼるように判決を読み上げはじめた。するとすぐ原告(メンバー)の名前を間違えて、驚き焦って最初から読み直す始末であった。
緊張は当然であろう――裁判所が「現代奴隷制」を正式に認めた瞬間だからだ。
原告の請求は「棄却」され、スーパーホテルが反訴した請求は「一部容認」された。しかも「仮執行つき」であった。
角谷昌毅裁判長が棄却のくだりを読み上げると、傍聴席にいた記者たちの表情に“明暗”が生じる。明るい表情でメモを取る記者、苦虫をつぶしたような暗い顔でノートに書き込む記者もいた。
その傍聴席の中からのどかな声が響き渡る――「よっしゃ!」とスーパーホテルの山本晃嘉副会長が奇声を上げたのだ。
スーパーホテルには存続の危機を乗り切る判決だが、日本国民にとってはまさに「司法テロ」を受けたと言うべき瞬間であった。この判決(以下、角谷判決と呼ぶ)が一般の日本国民に知れ渡ってないのが、本当に不思議でならない。
今後、業務委託契約に署名捺印させれば「人権なしの労働」が合憲とされ、賠償金を払って解約するか死ぬまで働くしか選択肢はなくなったのだ。
メンバーたちの現実は「解説その2」で述べたとおりとなってしまった。
実際に労基法を適用させまいと便宜的措置を匂わせた「非労働者」とされ、同時に事業者性をも否定した、まったくの宙ぶらりんに置かれた。
あとになって判明したことだが、角谷裁判長らは当事者(原告と被告)の主張していない「準委任契約」や「委任に基づく善管注意義務」などを勝手にでっち上げ、これに基づく債務不履行を認定していた。
弁護団たちは「弁論主義ないし処分権主義に違反してさすがにこれは違法だよ」とあきれ憤慨していた。
こんな地裁が5年さらに高裁が1年くらいとして、計6年間である。日本人の多くが勝率と費用、時間を考慮すれば裁判しない、いやできないだろう。
「判決」とは、裁判官の人格や見識、信念をすべて見せてくれる。
あなたは、そんな馬鹿げた契約に応じないし、ましてやだまされて結んだ場合にはその契約は成立しないと思うだろう。
ところが角谷判決によって、欺瞞(だますこと)で結ばされた契約、思想や移動の自由を奪う契約、その他に妊娠や病気、投票、忌引、休養などに罰則を課す人権侵害した契約は「企業が収益を上げるため」ならば認められることになった。
原告(メンバーたち)のせいではなく、被告スーパーホテルと角谷昌毅裁判長らが、それらを日本社会に現出させた。
裁判所の判決と控訴について軽く触れておきたい。
『判決文』というのは、法廷において裁判長から「はいどうぞ」と手渡しでもらうものではない。注目事件のテレビ報道のように、裁判官たちの映像と一緒に「主文○○○を」と読み上げるナレーションが同時に流れるのを見たことがあると思う。
裁判長は法廷において、その「主文」という結論だけを読み上げて退席する。
事件などにもよるが、A4用紙の片面に印字される形式で、厚みが観光ガイドから辞書くらいまであるようだ。角谷判決はA4サイズが「114ページ」の厚みで書かれていた。
それを東京地裁の事務局でもらう。控訴するには2週間以内に控訴状を地裁に提出する必要がある。
紹介のように控訴とは、地裁判決に納得が行かない場合に高裁で審理してもらうための手続きである。控訴状には『控訴理由書』を作成して添付し、控訴理由を提示しなければならない。
控訴理由書の提出期限は事件の複雑さや重要さなどを考慮し、裁判所がケースバイケースで判断しているようだ。たとえば福岡高等裁判所は「50日以内」と裁判所のホームページに書いてあった。しかし、一概に何日とは言い切れないのが実情だろう。
弁護団からは、控訴理由書が受理されても1回で結審という話もよくあると聞かされていた。審理に足る正当性をきちんと裁判官に伝えられない、あるいは伝えても正当性が認められないからなのだろう。
ところが、メンバーたちの不安をかき消す“奇跡のような”プロセスを経て、判決文の塊から知性が『控訴理由書』を彫り上げるのを目撃し、さらに高裁の裁判長は「しっかり審理する」という言葉を聞くことができた。
まず、弁護団が角谷判決を全国の弁護士や法学者に配ったことで起きた。
判決から13日後の同年7月23日、地裁に控訴状を提出した。もちろん控訴理由書はあとから提出と記している。それに伴いメンバーたちは『訴訟委任状』に署名捺印が求められた。
代理人弁護士はこれまで3名だった。しかし、メンバーたちに手渡された訴訟委任状には、別紙が2枚あった。よく見ると16名の弁護士が新たに参加していたのだ。
もはやメンバーたちの想像を越えた驚きの裁判がはじまろうとしていた。
同日、司法記者クラブで「控訴記者会見」を行う。 司会の北川弁護士は、冒頭で「弁護団は今の時点で19名、これからも増える・・・」と、この控訴の重要性を“弁護団人数”で表現して言っていた。順不同に紹介すると、つぎのとおりである。
記者会見の内容は報道を見て欲しい。
角谷判決を覆すべく専門家たちの知性が集まり――確実に動きはじめていた。
全国から有志の弁護士や労働法学者たちが集まって、いわば角谷判決の「有識者会議」となったらしい。著名な労働法学者も参加している。判決文がきちんと読み解かれ、控訴することの正当性が整理された。
メンバーたちは関与しておらず想像しかできないが、今もこれからも感謝しかない。