戦後、主権者が「天皇」から「国民」となり推進されてきた日本の“民主主義”。その中で国民の「基本的人権」は尊ばれ、憲法に照らした法制度は労働分野にも定着した。 民主国家の日本において「労基法」が定められた。その第1条第1項はつぎのようになっている。
労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
労基法第1条第1項「労働条件の原則」
しかし、最近の物価高騰と雇用などの問題が示すように、上記の趣旨は本当に実現されたと言えようか。新たに法整備しても法律の主旨が実現されないケースが増えていることに気づかされる。
たとえば「公益通報者保護法」がそうだ。毎日新聞は「組織内部の不正を告発する公益通報者たちは、ときにそんなレッテルを貼られ、報復人事をされる。」と実態を報じている。
法律の主旨が実現されない背景には、最高法規の「憲法」が無視されていることに行き当たる。
同じことが名ばかり個人事業主の問題にもある。政府や労基署(労働行政)が如何に在るべきか専門家の意見を紹介したが、昭和60年報告をもう少し深堀すると主犯格が浮かび上がる。
ウーバーイーツユニオンの組合員たちの労働者性から話をはじめよう。
同組合員たちは「労組法上の労働者」が認められた。だが「労基法上の労働者」ではない。じつは労働者性の適用は、労基法と労組法では「労働者の意義」が異なっており、労基法上の労働者は労組法にも適用されるが、その反対は適用されない。
『労働法はフリーランスを守れるか――これからの雇用社会を考える』において、労働者概念の大家である橋本教授はこう述べている。
なぜ同じような判断基準を用いながら、労基法では労働者性が狭く判断され、労組法では広く判断されているのか、その理由を明らかにすることは困難な状況である。
橋本陽子著. 労働法はフリーランスを守れるか――これからの雇用社会を考える. ちくま新書, 2024年, p.98
研究者が解明できないのはさておき――問題は「労組法では広く判断されている」のが重要だ。“適用されやすい”労組法がもしも労基法と整合性があったら、昭和60年報告を考案した自民党の利権が崩壊してしまうからだ。
こうした“恣意的な理由”から一方通行な適用が定められている。すなわち昭和60年報告の堅持は、自民党の利権を守ることにつながる。
実際に現行法(憲法を含めて)から「労働者」と「国民」という単語をすべて調べてつぎの表を作成してみた。
法律に「労働者」と「国民(日本国民)」が使用された状況の比較
表は横にスクロールできます。
| 単 語 名 | 法律数 | 比率 | 条文内箇所数 | 比率 | 労働組合法 条文内箇所数 |
|---|---|---|---|---|---|
| 労 働 者 | 212 | 1 | 3247 | 1 | 35 |
| 国民(日本国民) | 895 | 4.2 | 6242 | 1.9 | 0 |
同組合員たちは労組法の労働者となったが、同法の条文内「35」箇所で使われた「労働者」に該当している。ところが、労働者という単語は「212」の法律で利用され、それら法律の条文内では「3247」箇所も使われていた。
つまり、99%の法律には同組合員が含まれていない。こんな乱暴な「単語」の使用が常態化すれば、法律の主旨が実現されるはずがない。
労働行政における“一方通行な適用”の問題は、同じく憲法第10条により制定された国籍法の国民の「要件」に判断基準を付け加えるようなものである。
その国民(日本国民)は「895」の法律、その条文内「6242」箇所で使用されていた。労働者の4.2倍の法律に使用され、その条文内で1.9倍も使用されている。
もしも「国民」が労働者と同じように恣意的に適用されたら――
外国人問題がメディア報道や選挙戦の争点になる中で、想像するだけでも社会に大きな混乱を招くことは必定である。労働者という単語について日本人は考えを深めるべき時ではないだろうか。
同組合員たちのような労働者は、ストライキ権などの“実現不可能な”団体交渉によって人たるに値する生活を営む「基本的人権」を獲得できると、本当にあなたは思えるだろうか。
労働問題とは日本国民である、あなたの問題でもあるのだ。
さらに昭和60年報告の「労働者性判断基準の判断項目(判断要素)」から自民党が“労働者にしたくない”対象者を構造解析して見ようと思う。 メンバーたちの裁判証拠『甲240号証 鑑定意見書』(学習院大学法学部教授橋本陽子、令和4年7月19日)において、「ビクターサービスエンジニアリング事件(最3小判平成24・2・21民集60巻3号955頁)」の最高裁判決をつぎのように紹介した。
事業者性の意義については、最高裁は、「個人代行店が自らの独立した経営判断に基づいてその業務内容を差配して収益管理を行う機会が実態として確保されていたか否か」であると定式化している。かかる定義は、労組法上の労働者性と対比される事業者性として述べられたものであるが、労基法上の労働者性についても基本的に妥当する。
橋本陽子著. 甲240号証 鑑定意見書, 2022年7月19日, p.4
原告を「労組法上の労働者」と認めた裁判だ。しかし、最高裁が定式化した「労働者性」と「事業者性」の対比は労基法にも妥当するというものだ。 これにより労働者と事業者の「境界」をつぎの図のように“線引き”して表現できるようになった。図に引いた線で生じた「労働者」部分は「本来の労基法上の労働者」の領域を示している。

つぎに「労働者」部分の内側に、労基法第9条(定義)の「使用従属性」の判断項目を入れて行く。 教授の同書にある「重視すべきでない判断要素」を再び引用し、労基研報告の「①から⑧」の判断要素を「労働者」部分の内側につぎの図のように書き込む。

①から⑧の判断要素で囲んだ「昭和60年報告の労働者」部分は、昭和60年報告が特定した「労基法上の労働者」が適用される部分である。しかし、すでに述べたことだが判断要素の大半に疑義があった。それでもこれらを加えれば昭和60年報告の特定範囲は、確実に狭めることができる。
文字を可視化すると「事業者とは言えない者」の領域というのは、じつは「本来の労基法上の労働者」の領域であったことが、一目瞭然にわかると思う。つまり、自民党が労働者にしたくない対象とは“事業者とは言えない者”を事業者とするためであった。
おそらく“事業者と言えない者”を事業者と見なしたかった、これでは話がわからないだろう。やはり「経験者は語る」である。メンバーたちが労基署に申告していたことを思い出してほしい。
開示請求の『復命書』は「 (前略) 申告者らは労基法上の労働者とまで断定できない、との結論に至った。」とされた。この白黒つけない「判定せず」によって労基法が適用されなかった。
つまり、自民党はメンバーたちのような「事業者とは言えない者」を適用外とし、事実上の事業者に見なしたかったのである。
じつは経験者が語る所以は、本当の“生き地獄”が労基署への「申告」からはじまることにある。「労基法第104条第2項」により「労働者」の申告は、解雇やその他不利益な扱いから保護される。
しかし、名ばかり個人事業主は労基法外なので保護されない。
業務委託(請負)契約を結んだ「使用者」からの報復を覚悟のうえで申告することになる。使用者はきっと民法・刑法の名誉棄損、民法上の事業損失や守秘義務違反の賠償請求、不正競争防止法などで提訴してくるはずだ。
名ばかり個人事業主は、契約時点から搾取されつつ終わりを待つか、あるいは裁判訴訟を迫られる。
そうこうして戦う覚悟を決めたとしても、昭和60年報告の制度すら周知していないので証拠収集がむずかしく、ただ途方に暮れたところからはじまる。使用者の訴訟による法的脅威を噛みしめながら、労基署で「労働者ではない」と契約書を一見して即断される。
その申告する価値がないことをはじめて知って後悔させられる。
いざ裁判となれば、決着まで5年くらいの時間と費用が必要なことに驚かされ、救済される選択肢がそれしかないことを知る。しかも敗訴もあり得た。
多くの人々は、仕事と裁判の両立、もしくは仕事と家庭、さらに裁判を抱える負担に思い悩んだ挙句、諦めるのだ。
実際にメンバーは、スーパーホテルより民法の名誉棄損1000万円並びに事業賠償に約2700万円を請求され、最高裁まで争う構えである。さらに不正競争防止法の仮申立てをスーパーホテルが行い、マニュアル等の証拠原本が強制執行で押収されてしまった。
ある日、自宅の玄関に突然、執行官らが現れた――インターホン越しに「ドアを開けて下さい。抵抗すると警察に身柄を確保させます。」と警告され、戦慄が走った。

自民党の昭和60年報告の制度設計とは、労働者の申告と明らかな差別を設けることによって、名ばかり個人事業主が申告せずに“泣き寝入り”するように仕向けるものでもある。本来ならば「推定労働者」を原則とし、使用者が「立証責任」を負うべきなのに。
しかし、このような差別的制度は憲法が許していないはずだ。
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
日本国憲法第3章国民の権利及び義務第14条第1項
昭和60年報告の導入によって、自由な裁量がなく拘束され従属した「名ばかり個人事業主」がこうして誕生している。自民党によって“脱法の震源地”とされたジャニーズ事務所、芸能界から名ばかり個人事業主は広まったようである。
それまで雇用契約であった俳優も徐々に業務委託(請負)契約に転換されて行った。このような契約の切り替えによって、事業者となった名ばかり個人事業主を『見なし型』と呼ぶことにする。 見なし型の実例は『ディスガイズド・エンプロイメント名ばかり個人事業主』において「⑤不自由だけどフリーランス?――場所にも時間にも外見にも拘束される俳優」を寄稿した(当時の)日本俳優連合国際部長森崎めぐみ氏の証言のとおりである。